お絵描きホーホー論

理屈で絵が描ける事を証明する、徹底考察お絵描き研究

うろ覚えポケモンかけるかな? 〜第2フェイズ「脳内イメージの再現」〜

うろ覚えポケモンかけるかな? 〜第2フェイズ「脳内イメージの再現」〜

 ポケモン描けるかな?の続きを書かねば。前回のうろ覚えポケモン描けるかな? 〜第1フェイズ「うろ覚え」〜の記事からかなりの時間が空いたが、実験自体は着実に進展しているのでその記録として実験中に考えた事を細かく文章として残しておく、というかほぼTwitter原文の連結。今回はうろ覚えスケッチの第2フェイズ「脳内イメージの再現」について書くが、このフェイズでほぼお絵描きの理論化は完了した気がする。なので、前回も述べた通り第1と第3は単調作業なので得られる情報は少ないと予想され、第3フェイズの考察はあまり意味がないかも。

 念のためこのうろ覚え描けるかな実験の意義を再認識するために前回の記事から引用しておく。「最大の目的は、脳内イメージを紙の上に転写する工程を理論化して、知識さえあれば色々な絵が描けるようにすること。もしそれが達成できれば、その次からは知識の集め方や、模写の精度を上げる技術や、創作の仕方などを突き詰めていけば、特に努力せずに自由に絵を描くことができるようになるはず。」つまりこのサイトのキャッチコピーでもある「理屈で絵が描ける事を証明する」ことができる。

ジャック・ハム著『動物の描き方』でポケモンかけるかな?

 前回の記事の終わりでもいった通り、動物の骨格を勉強することをキッカケにポケモンの骨格の記憶を掘り起こそうと試みる。全く何もわからないまま描くより、実物を参考にポケモンの姿をデザインしたであろうイラストレーターの思考を読み取るつもりで描いている。参考資料としてジャック・ハムの『動物の描き方』を使う。

 ところが、ジャック・ハムの『動物の描き方』でリアルな動物の骨格はある程度描けるようになったとしても、結局ポケモンの特徴的なパーツを描くことができなくて悩むハメになった。ネコが描けてもペルシアンの模様や額に付いてるものが思い出せない。イヌが描けてもガーディの模様やトサカが思い出せない。キツネが描けてもロコンの頭のクルクルもふもふがどっち向きだったか思い出せない。ウシが描けてもケンタロスのタテガミや角の湾曲が思い出せない。というように、正しい骨格が描けてしまったがために適当なごまかしが通用しなくなった感じ。

 でもこれは人体デッサンも同じで、実写ヌードポーズ集の模写で正しいプロポーションが描けるようになっても、アニメキャラなどを描こうとすれば似ているか似ていないかの差が必ず出てくる。それっぽい記号をくっつけて何のキャラかは判別できたとしても「これじゃない感」は拭えない。しかし、このときの「似ているか似ていないかを判別しているときの感覚」こそが絵を描くときの思考の根幹を成すものだと思う。描いた絵の印象と頭の中にある記憶との誤差を感じられるかどうか、この感覚を持っている人は一度消しゴムで消して修正するという決断ができ、つまり絵が改善されて上達する。自分が描く絵に執着して納得いくまで思考して実力を出し切る、これは非常に重要なことで、いくらアタリ線の持ち技が多くても、記号を多く知っていても、模写の数をこなしても、似てる度を測る眼力がないと絵が上達することを実感することはできないと思う。このような似てる度を測る行為のことを「印象抽出」と呼ぶことにする。

 ロコンを描いているときに、なんとなく覚えてはいるけど絵として描き出そうとすると全くできないという壁にぶち当たった。確かくるっとカールしたもこもこが頭の上に乗ってた気がするという、うろ覚えのイメージがあったけど何度描いてもイメージ通りのモコモコにならない。この現象は、美人像のイメージ(好み)はあるけど美人画は描けない、という状況に似ている。絵を描かない人でもイメージは必ず持っているもの。もしこの状況を打開するまでいかなくても、せめて何が起こっているのかを文章化しておけば後々役立つと思って、このとき脳内でなされた処理をそのままツイートしていたはず。

ロコンに関する記憶の狭間を彷徨う者の手記(Twitter原文)

 さっきからめちゃくちゃ可愛かったと記憶してるポケスペのロコンの雰囲気が脳内に漂ってるけど、全く転写できない。黄土色の目とか茶色の手先とかまでイメージできてるのに、耳の形とか頭のモフモフがしっくりこない。ロコンの頭の上に乗ってるものでこんなにも熱心に勉強できるとは。

 映像記憶について調べたら興味深い記事があった(Wikipedia「アスペルアガー症候群」)。といってもアスペルガー症候群だと映像記憶が秀でているという話なので真似できない。一応映像記憶を辿ってロコンをイメージしたけど、頭の上に何が乗ってるかで色々試す時は言語で操作してた。例えば「カールした毛並み」とか「3つ並んでいる」とか考えると脳内イメージがその通りに変化する感じ。言語で操作していない脳内イメージの中ではロコンの頭上についてはイメージできてない。黒いモヤでもなく、モザイクでもなく、そもそも認識できない。

 面白いことに「モフモフカール3つ」のスケッチに一度成功してしまうと脳内イメージでもモフモフカール3つが頭の上にのったロコンになった。具体的には言語で操作しても脳内イメージに正確に反映されなかった。まず精密にイメージ「したい」ものを言語化して、そのときの脳内イメージと同じ感触のする抽象イメージを紙の上に記録すべく、試し描きを繰り返して当たり(成功作)を待つ感じ。最初にイメージしたものに近い当たりを引いたらそこでやっと脳内イメージに正確に反映された。まずロコン描いてみるが、頭の上のものに違和感、そこで言語で操作「モフモフカール3つ」、そしてモフモフカール3つを何度もスケッチした後、イメージに近いスケッチを脳内イメージとする。こんな感じでやってたはず。

 この試みが何なのかというと、模写練習を繰り返してもオリジナルイラストが描けないのは、インプットとアウトプットの間に何か詰まってせき止めてるから、もしくはインプットした物を正しく保管できてない、もしくはアウトプットする時の情報選択が正しくできてないのではないかという疑問が発端。第1フェイズのときのうろ覚えロコン。これは鹿だな。

ケンタロスに関する記憶を掘り起こす刺激を与える試み

 次にケンタロスを描く際にはデザインやパーツ形状などはある程度思い出せていたので、別のモチーフから着想を得て曖昧な記憶を補填するという手段をとった。ケンタロスは首から肩に描けて茶色いタテガミに覆われているが、その範囲がいまいちしっくりこないという問題があった。そのときに、ケンタロスそのもののタテガミはもはや原作イラストを見るまでは思い出せないだろうと思い、タテガミ、それもかっこいいやつ、ということでライオンのタテガミを参考にしてみた。とにかく脳内記憶を掘り起こす為に使えるものは何でも使う。結局、実際のケンタロスのデザインとは違うかもしれないけどそれなりにかっこいいケンタロスは描けた。

 うろ覚えポケモンかけるかな?の第2フェイズでは151匹全て描いていく予定だったが、ロコンの時に発見した「言語でイメージを操作する」という感覚が気になってそれどころではなくなった。まだ5体ほどしか骨格の勉強が済んでいないが一旦中断。言語でイメージを操作するということが絵を描くことにいかに関係しているかの分析に入ることになる。

お絵描きのメカニズムという発想の原点

 ロコンとケンタロスのときの発見からある程度お絵描き中の思考フローを体系化できてきた。ツイートに「ポケモンうろ覚えかけるかな?マニュアル」というものが遺されていた。これをベースにしてお絵描きのメカニズムの解明が始まる。

 この考え方は何にでも応用できると思うが、例えばエヴァのアスカを描きたいとする。このとき画像検索は厳禁とすると、まず映像記憶を凝視していろいろ思い出そうとするはずで、そうして浮かんだ特徴を言葉に変換しながらイメージを紙に描き出す。ツインテ、プラグスーツ、生意気そうなポーズ。この時に「これじゃない感」が発生しやすいのは、おそらく人体骨格などとは関係のないキャラの特徴である髪型とポーズあたりが怪しい。そこで初めて「アスカ」以外の画像検索を解禁して、実写やイラストの色んなツインテを見て結び目の高さや髪束の形を試し描きしてみる。ポーズは自分で演技したり俳優を参考にしたり。普通の模写と違うのは、この段階でまだアスカのイラストを見ていないのでうろ覚えで描いているということ。本物を模写してしまうと適当に無意識に描いてもそれなりに正解できてしまうため、あまり経験値にならない可能性がある。うろ覚えで描くからこそ、0から造形していく感じで隅々まで意識的に観察するので映像記憶に鮮明に残る。そうやって頭の中に記号を入れられればいつでも同じ記号を描き出せる、つまり絵が上手くなるということ。

 風景画でも応用が利く。パースグリッドは描けるけど建築物の配置密度を上げられないのは街並みの映像記憶がほとんど無いから。でも風景画はある程度は創作できた方が柔軟に応用できて使い道があるから、空間パースは技術で描いて、建築物は映像記憶から引っ張ってきて、イメージに近づけるようにうろ覚えで自由に風景画を描けることが好ましい。で、絶対「これじゃない感」が発生するので画像検索。建築物のディテールや密度、画角なども参考にして修正していく。そうしている内に「ソラで描ける記号」が増えていくはず。記号は理想のイメージに近づける手段。あとはランダムにそれっぽく散りばめながら絵の密度を上げていけばいい感じに仕上がるはず。このランダムに散りばめるというのは、ポケモンうろ覚え描けるかなで言うところの色んなアングルで描ける的な位置づけになるのかもしれない。

 絵を描くことを料理に置き換えて考えてみるとこうなる。「料亭の吸い物が美味かった。その味は深いコクがあってまろやかな舌触りだった。おそらく鰹と昆布の合わせダシだろう。」このときの、味=映像記憶、美味い=イメージ、ダシ=モチーフ、吸い物=模範解答、と対応している。絵に限らず、技術習得というものは同じメカニズムで動いている気がする。

言語フィルター

 やはり映像記憶だけで描けないときは言語でイメージを操作してスケッチするのは普通のことだとみえる。Wikipedia「映像記憶」 によると 「ヒトは言語によって自然界の事象を抽象的に把握する能力が向上したために、映像記憶の能力が衰えたとも考えられる。」とのこと 。それを踏まえて絵を描く行為を文章化してみる。モチーフを参考にして描くことで解決するのは知識の問題で、衰えた映像記憶の能力を外部から支援することで解決する。これじゃない感の問題は、映像記憶をアウトプットするときにダイレクトではなく言語フィルターを通してしまう事で別の既存の記号に置き換わってしまうが、 これは言語の数が有限であるが故にある程度記号が絞られてしまうため生じる誤差が原因。この言語フィルターに使う語彙力が無い場合も正しく脳内イメージ変換できない。ちなみに映像記憶も参考モチーフもろくに模写出来ないのは単に技術的な問題なので頑張りましょう。

 ただし模写できないのは技術的な問題だとはいっても、模写するには脳内へのインプット、脳内からのアウトプットがあるから、どこかに余計なフィルターが入り込んで先入観で描画する問題もあるので、思考の流れをもっと観察して判断しないといけない。絵を描く時にどれくらいの情報のやり取りがなされてるのか計り知れない。

参考モチーフ(資料)

 ペルシアン、ギャロップ、ガーディ、ロコン、ケンタロスと、5種類位の動物を描き分ける練習してるけど、個別のプロポーションをちゃんと覚えることができない。ウシを覚えたらウマもウシと同じプロポーションで描いてしまう。もしかしたら何事でもプロポーションを「覚えて」描けるようにするのではなく、プロポーションとディテールを「見ながら」描けるようにすべきかも。つまり「資料」を見ることが前提。

 アニメーターがキャラ表を見て描くように、初めて描くキャラでもそれなりに描けないといけない。プロポーション、正面側面背面図、ディテールあたりをその都度新鮮な映像記憶としてインストールして、脳内で何かしらの手続きをして描画する。もしプロポーションとディテールさえ分かっていれば即座に自由に描ける脳の使い方があるのならいちいち形を暗記しなくて済む。少し試し描きすればそれなりに描けるようになると思う。そうやって描いているうちに映像記憶が蓄積して精度や記憶強度が上がって、いずれ参考モチーフを見なくても描ける様になる。この「参考モチーフ」をもっと扱いやすい言葉に置き換えると「資料」となる。今まではイメージが曖昧なときに資料を見て描くと思ってたけど、もはや絵を描く時には必ず見るものなのかも知れない。

 ところで、さっきの「お絵描きのメカニズムという発想の原点」の項目では「資料を模写してしまうと適当に無意識に描いてもそれなりに正解できてしまうため、あまり経験値にならない可能性がある」と言ったのに、今度は「絵を描く時には必ず資料を見るもの」と言ってしまっている。これはどういうことか。簡単な話で、絵を描くときには資料を見るべきときと、そうすべきではない時があるということ。良いだのダメだの極論を言っていいほど絵を描く行為は単純ではない。ではその局面の見極め方はというと、それはそのうち「お絵描きのメカニズム」として解明されると予想される。

練習・上達・創作のサイクル

 人間を機械として捉えると客観的に自分を分析しやすくなる。さきほどの図の逆輸入と書いているところは、要するに参考モチーフや言語フィルターが脳内イメージに与える変化を覚えて習得するという意味で、ソフトウェア用語でいうところのインポートにあたる。ということは、参考モチーフや言語フィルターもソフトウェア用語に置き換えれば面白くなるだろうということで、参考モチーフは「外部データ」、言語フィルターは目的を与えて「言語操作フィルター」と改名。

 絵が下手な人を自動中割りソフトに例えてどう改善すれば使い物になるかっていう考え方も導入したいし、 よって、上手い絵を描く為にはしっかりした資料を作って、外部データとして情報を一覧する。外部データや言語操作フィルターからの受けた影響を互換性のある言語にしてインポートしてレンダリングを行えるソフトウェアを設計するようなイメージで、絵を描くための考え方を体系化する。

 ここまでくると、やはり絵の練習とは資料(外部データ)のクオリティを上げていく事だと確信した。資料を作成しようと思ってウシのプロポーション、シルエット、骨格、筋肉を重ねて描いてみたけど、模写して描いた割にあまり格好良いウシにならない。何回か描いて、理想のイメージと同じだと思えるウシを描けたらそれを資料にする。普段から練習する理由は高精度の絵を高確率で描ける様になる為だけではない。何度も描いて理想イメージとの誤差を修正しながら格好良いと感じる成功作が描けたらそれを資料とする。そして資料という外部データをインポートして映像記憶をアップデートする。

 ちなみに理想イメージは記憶の中で常に変化している。外部データは保存強度が存在しないので消えることはない。忘れたらまたインポートすればいい。自分の考え方(ソフトウェア)と互換性のある資料の作り方が確立するとスムーズなインポートが可能となっていろんな絵の習得過程がルーチン化できる。

 そうして実際に線を描画する段階に至るわけだが、一発描きができるわけないのでラフスケッチになるはず。そのときにアタリ線で具合を見るのは映像記憶や印象の再現度をテストする為。今まではアタリ線は補助線のことだと思ってたけど、違う。描いたアタリ線の再現度を評価し、良い具合であれば映像記憶にインポート、描いてはインポート、描いてはインポート、という咀嚼にも似たものだと思う。この「再現度の評価」が難しいところで、上の方でも描いた「似ているか似ていないかを判別しているときの感覚」のことで「印象抽出」のことでもある。この印象抽出の部分がAI化出来たら機械でも柔軟に絵が描けるようになる。そして人間を機械として捉え、ソフトウェアの設計図をイメージしながらアップデートしたお絵描きのメカニズム体系図が下図。

 この図で考えると「練習」というのはいくら繰り返しても「上達」はしないらしい。ただひたすら記号を取っ替え引っ替えモンタージュして具合を確かめる工程。その記号の組み合わせの見栄えの根拠を理解すると「上達」の軌道に乗れる。

 レンダリングして「これじゃない感」なら上手く描けてない。何回も描き直して「これだ感」ならデッサンの狂いはない。いずれも印象の再現度の問題だからキレイな線でなくラフでいい。体系図の右側の大きなサイクルはアタリを取る為のもの。絵とはつまり図の事でもあって、記号で意味が伝わればいいから下手な線でも正しい記号で印象が表現できてれば合格ライン。

 再現力とは、描きたいものを確実に描けるということで、これは体系図の練習サイクルを繰り返すことで体得できるはず。対して技術力とは、再現の成功率と精度、またはツールの取扱いのこと。無理やり一言でまとめると、絵の上達とは、映像記憶洗練と印象再現度向上のによって思い通りのラフ画を描くこと(構想段階)。 描画技術とは、作業効率化と質感表現によって作品の価値を高める手段のこと(仕上げ段階)。つまり毎日楽しくお絵描きしながら上達したいのなら、上手いとか下手とか関係なく描きたいものを描けば良いという事!!

 話はそれからだ。

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